ライティング漸く波に

categoryライティング — S.S a.k.a fukigen @ 2007/7/7 22:51

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 もうかれこれ五年くらいはいぢってんじゃないかという私の著作、「ファースト」の校正が漸く波に乗り始めた。これまでも確かに校正作業については取り組んでいたにしろ、どうにも書き上げたものの高さに自分自身が追いつけなくて、小手先程度の作業を行うのがやっとだった。それがここへきて一気に作品を纏め上げる力というものを手にすることとなった。転機の直前は、昼夜の別なくアルコールに浸かるという数日間があった。
 第一部は今日の作業でほとんど纏まったと思う。校正作業というのは私の場合、パラグラフごとの飛躍と連結を均等にすることと文体のブレを限界まで抑えることを重要視するのだけれど、文章というのはもちろん思考と不可分な訳で、大量のテクストを読みながら、読み手という仮想的で絶対的な見地を維持したまま不適当箇所とその解決策を推敲するというのはなにより精神的なタフさを要求されるので困難なものになる。あまつさえこのオレ様ときたら、時の洗練というものも意識して、100年耐性、同時に翻訳耐性まで考えてしまっているというから驚きだ。見据えてるものの高さがまるで常識的でない。でも必ずこのクオリティーを妥協せずに完成させる。
 ともかく第一部の校正はこれで終わったと思う。第一部は草稿の段階で、実は書き出しに2000字程度の口上文があったものを全て削除して書き直したので、導入の方法をそっくり取り替えるというけっこう大がかりな作業になった。草稿の段階では、戯曲冒頭の口上がなんか格好良く思えたんだよね。けっきょく理屈っぽくて作品の芸術性を損なわせるという判断で無しにしたんだけれど。
 実は三部に分けているのは校正作業を区切るために便宜上行ったものなので、完成した作品は一続きで章だてにもなっていない。で便宜上の次なる二部、これは簡単に終わると思う。問題は第三部、まー、いまの自分ならやりきれるだろうと楽観しているけど。

 ちなみにタイトルが以前のファウストからファーストになってるはラテン語のファウスト(祝福される)という隠喩を漸く棄てる気になれたから。ゲーテの戯曲とまるで関係ないのに、しかも著者自身がラテン語なんて微塵も知らんのに固執してもしょうがないので。ファウストの段階から、ファーストが本意だったてのもある。ファーストの方がだんだん良い響きにも思えてきた。


ワイヤードに参加する。

category雑記雑感, ライティング — S.S a.k.a fukigen @ 2006/5/28 21:37

20060528 著作掲載サイトなどと銘打って、これまでウェブサイトATMOSPHEREを公開してきたものの、気がつけば恐ろしいことに、ほぼ四年間、メインコンテンツを更新していないことになる。まー私にとってサイトというものは、公開もされている自分の地所、といったものだから、初期に関わりあってきた人々(長年こっそりとリンクしてくれている私の知らない人々には感謝しています)に呆れられるのはそれほど問題視していない。けれどこの四年というのは我ながら凄いと思う。さらにいうと、掲載に丁度良い短編のイメージがこうして私に生まれなかったなら、まだまだ平気でやり過ごしていただろう、自分が凄い。というかクール過ぎて気絶か。
 という前置きはさておいて結論だけど、近日中に短編小説を約四年振りに掲載します。タイトルは「ベントナイトセフィラー」。セフィラーシリーズの二作目です。相変わらず手法というものの既成概念の枠外で書いてます。時間と主観を侵食する文体は、ナインセフィラーよりさらに踏み出したつもり。いまんとこ20000字を超えたくらいで書きあがってて、軽く校正したらもう少し伸びるかも。まーあくまでもウェブコンテンツなんで、難産してる「ファウスト」のように掲載を(こっちは掲載しないです)伸ばし伸ばしにすることはないと思う。というか、仕事やその他諸々がいろいろあって創作に時間が裂けなくてまいる。こうしてブログを書くこともだんだん難しくなってきてる。

信じるものが一人でもいれば、その物語は真実に違いない。
                                 ポール・オースター

画像が砂漠なのはいったいどうしてだろ。


ギクシャクな世界。ギクシャクなサイクル。

category雑記雑感, ライティング, 音ネタ — S.S a.k.a fukigen @ 2006/5/3 0:18

sparklehorse  世界の輪郭がハッキリと見える期間と、なんだか取り敢えず生存だけはしていますよ的な期間が、交互に訪れる。退廃ってのもやっぱ居心地がある訳で、意識が鮮明なときだけではきっと、人はなにも生み出せないんじゃないかとすら思う。思考力のなかにある種のポイントがあって、退廃のサイクルの間にそれは蓄積されてゆくんだと思う。アベレージでは決して芸術は生み出せない。そこには自分の持ちうる能力のピークだけを献上しなくてはならない。
  先週あたりから着手しはじめた短編小説、「ベントナイトセフィラー」はあっという間に、一万字近くなってしまった。まともに向き合ったのはまだ一日だけだ。あとは週日の昼休みにチョコチョコ手をつけているだけ。どのように進行してどのように終わるか、どのような登場人物が現れるかまですでにハッキリと決まっている。すでにというより寧ろ、着想の段階で次々とこれは浮かびあがった。
  書き始めてからそろそろ四年ほど経とうという長編小説、「ファウスト」には少し距離を置いている。これはとても大切な著作なので、書こうという行為そのものが、私のなかのもっとも高貴なものを要求してくる。ギクシャクなサイクルからそれを見ると、まるで魚が鳥に憧れるような、なにか不当な願望というようなものが感慨となる。
  SPARKLEHORSEを聴いて食事を作り、食器を洗っては空模様を覗って洗濯をする。ギクシャクなサイクルは行動が当たり前な成果を産むような作業が心地よい。このブログのデザインもこの数日で出来上がってしまった。やっただけの成果が直ぐに確認できることというのはとても気休めになる。けれどもうすぐ鮮明な世界のサイクルに入れるだろうから、こんどはこういったことがとても退屈になってしまうのだ。どこにあっても本当に大事なことがなんであるかを見失わないことがいちばん大切だと思う。

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