みずのひと・くうのひと

categoryフィクション — S.S a.k.a fukigen @ 2007/11/25 16:43

071125
 それらすべては、青の拡散のなかにあった。

 なかばまで水没した神殿の石柱を輪のようにくすぐって、牙をむかない滑らかな波が、緩慢に上下を繰り返していた。海面はその全てを虹色のセロファンに覆われていた。泡沫をいっせいに散らす波打ち際の潮騒、その立体的な音景のなかに、セロファンが触れあうカサカサという音が、どこまでも仕舞いこまれているのだった。
 塩水に浸かったセロファンは浜で堆積し、風化しそして太陽に焼かれると、いつしかそこでコロイド状の隆起となった。内部はまるで打ち上げられたクラゲの体組織さながらであった。いつしかそこに銀河が芽生え、ネットワークの中心に鼓動が生まれると、やがて殻を割って立ちあがる、水の人がはじめての大気を吸った。
 水の人は水面のような肌に地球の全景を映しながら、浜に立ち、立つものを平等に縛りつけている重力の枷をいま思い知った。なんとこの躰の重いことよ。そして嗚呼、なんとこの大気の、澄み渡ることよ。見あげる大気の遠いとおいそのむこうでは、空が沈黙を破ろうとしていた。 (more…)


可愛くなったPJ Harvey

category音ネタ — S.S a.k.a fukigen @ 2007/11/5 12:07

071105 私の場合、PJ Harveyというと真っ先に思い浮かぶ単語がヒステリーで、ヒステリックな女なんてどうもねぇ、という気持ちとともに、実は感情の起伏が少ない私自身、どこかでこういった女を好んでるんじゃないか、というような、いわば二律背反に結論しそう。だから背反の片割れがこれまで彼女のアルバムを手にとらせてきたんだと思う。ヒステリーといってもCDを回しておくだけなら安全で、コップや植木鉢が飛んでくるようなこともない。もちろんヒステリーな女を肯定している私の片割れが前提しているのはそのなかの可愛らしさであって、ここでようやく話しがまとまるんだけど、今回の彼女のアルバムWhite Chalkが、とても可愛らしく、とても純粋なアルバムになっているのだ。
 でコンセプトアルバムともいえるこのWhite Chalk、楽曲の構成もかなり変化している。バンドアンサンブルを必要とする曲はほとんどなく、というのもほとんどの曲が一台の古いアップライトピアノで作曲されたものらしい。声の使い方もとても綺麗で、これまでの楽曲にみられた、いわばシャウトの影に潜んでいる彼女の細々とした繊細さのようなものが、全面に押し出されている。こうなるともう、彼女の声を聴くたびにこれまで知らずに望んでいたスタイルがこのアルバムなんじゃないかとすら思えてくる。音数の少なさがまた、最近よく聴いているDot AllisonのExaltation of Larksもそうなんだけど、現在頭のネジが二三本飛んでんじゃないか、という私の心境に心地よい。 (more…)


愛だけが全てを

categoryフィクション — S.S a.k.a fukigen @ 2007/9/23 0:18

070922
 きれいなママンが電話を受けてから慌ただしく、ミズキに少しのあいだの留守番を言いつけて、きょうは緑色のほうのポーチを下げ、それからはさらに慌ただしく、廊下の羽目板を鳴らしながら玄関へむかった。リビングはそれまで、弟のユウがミズキの作った折り紙の手裏剣を指さして、ナニコレ?ナニコレ?と繰り返しに問う声と、わけのわからないTV放送の、わけのわからない人たちの会話と、サクラといわれる人たちの、妙をついた笑い声に、満たされていた。
 テレビのなかの人たちがわけのわからないことをいいつづけている音景の奥底で、きれいなママンが玄関でヒールをツカツカと足に馴染ませてから扉をひらき、むこうから施錠するその音が鋭利にたった。ミズキとユウは二人きりになったことをこの瞬間に自覚した。これからはなにをしてもへいきだし、これからは、なにをしなくても、へいきなんだ。そう。あとでママンにみつかりさえしなければね。 (more…)


御国について語られる

categoryフィクション — S.S a.k.a fukigen @ 2007/8/14 1:45

070814
 視界の大半である日輪の手前を、一羽の猛禽の類が横切っていった。蹄鉄が打たれるような断絶の音がたち、瞬時に鋭利となる光芒を追うように翻り、そこから見地はいまだ高きまま地上を下に見おろすと、そこには砂と石の町が、そしてその辻に集まったガリラヤの民の人の輪が、そしてその中央には、人の子の姿があるのだった。
 人の子はひとあし歩みだし、ヴェールを背にした老婆の額に手を翳すと、かのじょがながきにわたり患った肘のリュウマチをそこで癒したのだった。かれは亜麻布のそでを翻すと、つぎにあらわれた石切の男の頬にふれ、つむらせたままのまぶたの上をその親指でそっとなぜ、見開かれたときには忘れられた、かれの斜視を癒したのだった。多くの顔が人の子のまえをすぎていった。息をのむ民がもたらす沈静のなか、御業のたびに漏らされ、どよめく言葉なき声だけが、そこにはあった。
 ひとだかりからやや離れ、弟子たちのなかでもっとも子どもに好かれるイスカリオテのユダが、親をまつ幼きものたちをあやしていた。銅貨を指の背で転がす曲芸をみせ、また目を丸め奇妙な顔をつくっては、幼きものたちの笑い声をあつめていた。かれは亜麻布のそでのなかから、紙で折られたあらゆる動物をとりだすと、関心をしめす小さな手のひらにひとつずつそれを落としていった。そこで不意に視線を感じたイスカリオテのユダはむきなおり人の子を見た。二人は日射しに焼かれる砂の臭気がみちるなかで、親愛のまなざしをそのひとときに交わしあった。 (more…)

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